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執筆者の写真nextform じゅんや

最愛の人(1/5)


豪華絢爛に致したく存じ候

彼女は、産まれてからすぐ母親に捨てられた。 とても貧乏である家庭に引き取られ、 小学三年生まで育った。 その家庭は、 お爺さんと、障害者の娘さんだったらしい。 働き手はお爺さんしかおらず 肉体労働をして生計を立てていた。 しかし、なんといってもお年寄りだ。 毎日働ける訳でもなく、生活保護も受けていた。 貧乏だったが、明るく過ごそうと健気に生きた。 近所では、生い立ちを不憫に思ってか、 彼女にお米を持たす事もあった。 喜んでもらえると思った彼女は、 帰宅すると、御飯を炊いてお爺さんの帰りを待った。 しかし お爺さんは怒った。 御飯を炊いて食べるより お粥にした方が、長持ちするからだ。 彼等の住まいは、お寺。 家なんか持ってなかった。 そこから学校に通っていた。 小学生ながらも 自分の生い立ちなどを呪った事もあるという。 近所では、やはり そういった境遇である彼女の話が持ちきりだった。 それを聞きつけたある家庭が 彼女を養子に貰う申し入れがあった。 お爺さんも育てていく事に不安があったので、 どちらかといえば、救われた感じだった。 彼女には、二つの家庭を選択出来た。 一つの家庭は、 いわゆる普通の家庭で、今より裕福な環境になるだろう。 同じ学区内なので、学校をかわらなくて済む。 二つ目の家庭は、 やっぱり貧乏だが、今よりましのようだ。 しかし、違う学区なので、学校をかわらなくてはいけない。 僕だったら、どうだろう。 前者の家庭を選ぶはずだ。 しかし、彼女は後者を選んだ。 僕は、なぜだと彼女に問うた。 どっちの家庭に行っても 名字は、変わる。 同じ学校なら、変わった事に気付く友達が詮索するだろう。 それなら、新しい名字になって 違う学校で、転入生として始まった方が 彼女にとってよかったのだ。 これが小学生の決断だ。 僕は、悲しくなった。 彼女は、後者の家庭での生活を選び、 義母が美容師をしていた為だろうか、 自分も美容師を志した。 やがて、見合い結婚し 夫には養子に来て貰った。 息子が出来、 その子には、自分と違った貧しい暮らしではなく 絢爛な世界を生きて欲しいと 絢也と名付けた。 彼女。 すなわち僕の母は、今も美容師をしている。 そして、 幼い時には、 学校も行かせてくれ 食事を与えてくれ 着る物を与えてくれた。 ガキの時、 僕は、あんまり良い子じゃなかったので、 母によく怒られた。 すごく怒って 義祖母に止められている時、 母は、義祖母に言った事があった。 その当時は、僕は知らされてなかったので なんの事か分からなかった。 「育て方が、わからへんねや!」 こういう事だったのか。 今は分かる。 絢爛な世界を生きて欲しい。 僕は、森下絢也という名前を貰った。 名付けた彼女に応えれるぐらい 僕は、絢爛と生きれているだろうか。 そして、ここでいう 僕の「最愛の人」とは、母の事ではない。 母や僕を助け、育てた「最愛の人」の主人公。 義祖母の事だ。 この項は、プロローグに代えて。

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